白峯神宮について
白峯神宮 由緒
御祭神
由 緒
幕末、風雲急を告げる中、121代孝明天皇は、保元の乱(1156)によって悲運の運命を辿られた第75代崇徳天皇の御霊を慰め、かつ未曾有の国難にご加護を祈らうとされ、幕府に御下命になり四国・坂出の「白峰山陵」から京都にお迎えして、これを祀らうとされましたが叶わぬままに崩御されました。
明治天皇は父帝の御遺志を継承・心願成就され、宮地を和歌・蹴鞠の公卿宗家「飛鳥井家」の邸宅地跡に求められ、慶応4年(明治元年)9月6日、社殿を現在地に新造。奉迎鎮座されました。続いて明治6年に第47代淳仁天皇の御神霊を淡路島南端の御陵からお移して、御併祀になりました。
当初は神祇官員が日々ご奉仕しましたが、明治の新制度により官幣中社としての待遇をうけ、昭和十五年には官幣大社に御昇格・「 白峯神宮 」となりました。
また、当神宮には「まり」の守護神として「精大明神」が祀られています。「精大明神」は蹴鞠・和歌の宗家である公卿・飛鳥井家が代々守護神として邸内にお祀りしてきたもので、当神宮がその祭祀を受け継いでおります。
そのために、今では「まりの神様」として崇敬され、日本サッカー協会をはじめ各種スポーツにおいて、使用された公式球が奉納されています。御神徳を仰ぎ、野球・サッカーを始めとする球技や新体操、また日々の習い事に至るまでの目的の上達を願う参拝者が多く訪れます。
けまりは、ボールを落とさない事・落ちない事から、勉学の神 白峯天神様のご利益が学力を落とさない・試験に落ちないなどと縁起が良いとされています。
春秋の修学旅行シーズンには、新人戦や大会に向け御祭神の御神徳を頂こうと学生達の参拝が多く、目的の上達を願い全国唯一の「闘魂守」を授かって、日々の練習の成果を発揮して頂いています。また、蹴鞠保存会100周年記念に建立されました「蹴鞠碑」前での記念撮影や、全国唯一の「闘魂守」を授与しています。
このほか、崇徳天皇に仕え、武道の神として、源氏の頭領源為義・鎮西八郎為朝公を祀る「伴緒社」、縁結び、水の神「潜龍社」また、魔除・厄除の神と御利益が有る「柊大明神」を祀る、柊護符を節分の時季に限り戴ける。境内各所に祀られています。
また、「飛鳥井家」とあるように手水舎の飛鳥井は、清少納言が『枕草子』168段に『井は、ほりかねの井。走り井は逢坂なるがをかしき。山の井、さしも浅きためしになりはじめけむ。飛鳥井「みもひも寒し」とほめたるこそをかしけれ。玉の井、少将ノ井、櫻井、后町の井。千貫の井。』と九つの名水の中にあげてほめ讃えています。井戸からは滾々と尽きることのない水が昼夜をとわず湧き出ており、春は名木の鬱金(ウコン)之桜、含笑花(ガンシュウゲ)の花の薫香、夏は天然記念物指定の小賀玉の大樹、季節を問わず黄金色の三葉の葉を落とす三葉之松等々霊木のつくる緑陰が参拝者を迎えます。
御社殿
流れ造(銅板葺)の御本殿は賀茂御祖神社の「河合社」を模して建造され、他に拝殿・神門・手水舎・瑞垣などは檜皮葺きから銅板葺きに変更されましたが、築地塀とともに御創建時と同じ佇まいです。
宝物・古文書
国指定重要文化財
付随身像
小賀玉の木