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年中祭事

精大明神例祭「七夕祭」

7月7日 精大明神例祭「七夕祭」午後1時30分




御神楽

精大明神祭(七夕祭)には祭典中に竹若舞楽による舞楽が奉納されます。

蹴鞠奉納 午後1時30分

小町をどり 奉告祭午後4時

 

 

白峯神宮では、毎年七月七日午後四時からの七夕祭に、地元の少女たちによって『小町をどり』が奉納されます。

この踊りは、元来、奈良時代、宮中の行事として始まった陰暦七月七日夜の乞功奠(きこうでん芸能が巧みになることを乞祈る祭り)の際、供え物として公卿等が詠んだ「和歌」を届ける時に、文使い(ふみづかい)のお供をしていた娘たちが、その道中で歌い舞った踊りが起源とされています。

その後、これが民間で七夕の風習になり、特に女子が手芸と芸事の巧みなることを願う祭事として定着し、元禄の頃になりますと西陣界隈の乙女たちを熱狂させまして、あでやかな西陣織の着物を着飾って町々を歌をうたい、踊り歩いたのが始まりであるとされています。

衣装は、紫のハチマキに桔梗の銀かんざし、緋の襦袢を片袖ぬぎにして、金襴のたすきと帯、赤いしごき青を基調にした着物は、緋とのコントラストがひときわあでやかさをまします。その着つけも、元禄の優雅さがしのばれ、一層乙女たちの可憐さを強調します。

左手に小太鼓をもち、右手のバチをかざしてシナをつくり、鞠庭中央の七夕飾りの大笹の元、牽牛・織女の周りを回りながら、歌に合わせて打ち鳴らすトントンとかわいた小太鼓の音が、静かな境内に響きます。

明治の遷都以後、この行事は途絶えておりましたが、これを惜しんだ地元の人々が、時代風俗の考証を吉川観方、作曲・振り付けを茂山千五郎氏の協力を得て、昭和三十七年の七夕祭に復活させたものです。以後、今日まで、夏の風物詩として、当神宮ゆかりの「けまり(蹴鞠)」と共に広く親しまれています。

また、「七夕」に当神宮に奉納されるのは、神宮の境内に地主神として尊崇されている地主社の御祭神(精大明神)が和歌・けまり上達の守護神、また七夕の神とも伝承されていることによります。

踊り子募集

毎年六月初旬頃、小学生を中心に踊り子を募集していますが、この踊りの保存育成と後代に引き継ぐべく努力を積み重ねて、小町をどり保存会を結成して広く参加を求め同時に上京区のみならず市内一般に、をどり子の募集と保護者への働きかけを続けています。どうぞお申し込み下さい。

小町をどり奉納奉告祭

 

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